B-法師

Bー法師について

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1. B-法師の意味

このサイトの「Bー」は「備前の」意味である。
岡山県備前市であり、古くから備前焼で有名な街である。備前焼作家やその店が集中しているのは中心より少し離れた「伊部」という地区で、もとは「伊部焼」とも言われる。
備前市は私の故郷である。

以下、「法師」についてののこと。
「法師」については江戸時代からの話になる。

2. 上原大夫のこと

ちょっと江戸時代の地方の歴史話をする。烏帽子を被った華族ではなく、江戸時代の農村社会での陰陽師の歴史の一部だ。しかも今の岡山県で京より西、江戸よりはるか西のこと。

陰陽師は民俗学では宮廷陰陽師と民間陰陽師に分けられる。前者は安倍晴明を代表する陰陽寮として宮内に設けられた列記とした行政機関であるが、後者は地方にあって土俗的神祭から発生した陰陽師で、陰陽師と言わず法師また方士と言われることもある。

民間陰陽師の代表格は芦屋道満で、宮廷陰陽師の代表格の安倍晴明の適役として色々な物語に登場する。芦屋道満の系列は播磨国に多が、また、備前・美作・備中の現岡山を中心にも多い。

「晴明伝説と吉備の陰陽師」(高原豊明著)『岩田書院」によると、
特にその中の備中で吉備地区に「上原大夫(カンバラダユウ)」と俗称される民間陰陽師の集団があったことは、各種文献で明らかにされている。元和年間(一六一五〜二四)に備中上原村から枝村として別れた富原村に、多くの陰陽師が集住し、「備中富原陰陽師」と規定されていたことは、当時の岡山池田藩の公式文書にもあとのこと。この陰陽師たちが「上原大夫(カンバラダユウ)」と呼ばれ、「カンバラヲタタク」が「祈祷をする」ことの方言としてあった。
しかし、この陰陽師たちは何時しか民間陰陽師から宮廷陰陽師の系列になるのである。『中国兵乱記』(中島元行著、一六一五年)に「安倍晴明カ末孫越後守結城秋氏と申博士」と記されており、この越後守結城なる者が備中富原陰陽師なのだが、安倍晴明子孫が土御門家であり上原大夫が土御門家により支配規制されていたことになる。
十九世紀初頭、この陰陽師家数82、人数491人(男274人、女217人)と記録があるのを見ると、岡山県内において大きい集団といえる。
土御門家の支配に下り仕事の範囲も決められていたらしく「陰陽師の職務細目」の記述もある。見てみると十項目程に集約されているが「一、対病人の為祈祷」は主なる陰陽師の職務であり、同じく「一、占かた・・・」とある。占いや日柄を選ぶこともきっちりと陰陽師のノウハウと明確化されていた。岡山城下の占師と思われる十数名が実名を挙げられ、岡山池田藩の記録にあるとのこと。

大正や昭和初期にはこの上原大夫が日常にあったのだろう。

3. 六壬神課を選んだわけ

土御門家の言う占いは、安倍暗明の『占事略決』である。
別名「大六壬」「六壬神課」と呼ばれ、現代占い師の世界ではメジャーではない。教本もほとんど無く、師を見つけるなら台湾までゆけば居るかもしれないとのこと。
ところが、この占い「六壬」は結構当たるらしく的中率が高い。その為、「六壬」をならった占い師自身が自分の実力と勘違いするほど。

私は備前で占いをするので、私は六壬神課を選んだ。10年以上も前です。
また、人の運についても依頼があるので、四柱推命を学んだ。

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